ラムの歴史

ラム酒の歴史

ラム酒は糖酒と書かれるように、サトウキビ砂糖の副産物として生まれました。ラム酒の生い立ちを知るためには、サトウキビの歴史から理解しなければなりません。

1.サトウキビの起源

サトウキビはイネ科の多年生植物であり、原生種は紀元前1万5千年頃には、インドのベンガル北部・中国南部・西アフリカなどに自生していました。学名は:サッカルム・オフィキナルム(Saccharum Officinarum)といいます。意味は「薬屋の砂糖」という意味で、この学名がラムの起源になったという説もあります。

サトウキビ

2.製糖業の開始と広がり

インド北東部のベンガル地方で紀元前300年頃に砂糖の生産が開始されました。この時代の砂糖は希少品であり、主に薬や宗教儀礼などに使われていたようです。

その後、十字軍の遠征によりイスラム教徒とキリスト教徒との間に異文化交流が生まれ、サトウキビの製造技術が伝わり、ヨーロッパ人が砂糖を買う側から売る側に転じることになりました。特にポルトガルとスペインは、サトウキビの育成に適した土地を求めて、ポルトガルはマデイラ諸島、スペインはカナリア諸島等アフリカ西岸の島々を次々と植民地化し、砂糖プランテーションを建設し、莫大な富を得ることになりました。

3.カリブにおける製糖産業の始まり

15~17世紀には、スペインの庇護による、クリストファー・コロンブスがマルコ・ポーロの「東方見聞録」を信じ黄金を求めて海に出ました。1492年には新大陸を発見。その翌年の2回目の航海の際にカナリア諸島産のサトウキビの苗をエスパニョーラ島に持ち込んだことがカリブ海における製糖産業の第一歩となりました。

コロンブス

コロンブスが持ち込んだサトウキビのおかげで、その後スペインは製糖技術や機器を持ち込み、本格的に製糖業を開始しました。これにより砂糖の大量生産が行われるようになりました。スペインとポルトガルは新たな植民地の領有権を争い、1493年にローマ教皇の仲介で「トルデシャリス条約」を取り決め、カリブ海域はスペインの独占圏となりました。

トルデシャリス条約により、面白くないのは世界進出が遅れていた英仏等の反スペイン諸国です。彼らは私掠船とバッカニアを使って、スペイン船団を襲撃するようになりました。私掠船とは民間人でありながら、敵国の艦船や都市を攻撃することを許される代わりに、略奪品の一部を国に納めることをエリザベス女王1世の名の下に行っていた船です。バッカニアとはカリブ海でスペイン船を襲う海賊の総称です。バッカニアの代表格として、ラム酒コラムでも書いた「ヘンリー・モーガン」が有名です。

4.三角貿易

カリブ海に住んでいた先住民は、ヨーロッパ人による虐殺や強制労働、ヨーロッパから持ち込まれたウイルスによりほぼ絶滅してしまいました。カリブ海での砂糖産業が盛んになるにつれ人不足となったため、ヨーロッパ人はアフリカ人をカリブ海の島々へ奴隷として連れていきサトウキビプランテーションで働かせました。

 

これにより、ヨーロッパ、アフリカ、カリブ海を三角形に結ぶ貿易「三角貿易」が行われました。ヨーロッパから武器や綿織物をアフリカへ、アフリカから奴隷をカリブ海へ、カリブ海から砂糖をヨーロッパに運んだ貿易を意味します。

5.ラム酒の誕生

製糖業が拡大し、生産が増えた副産物である糖蜜(モラセス)を、その当時は蜂蜜の代用品として飲み物に加えたり、パンに塗ったりして使用していました。その糖蜜を発酵、蒸留したものをプランテーションで働く奴隷に与えていたのがラム酒の誕生です。それ以外の説では、プエルト・リコに渡ったスペインの探検家ポンセ・デ・レオンが作ったという説や、バルバドス島に移住してきたイギリス人がサトウキビから蒸留酒を造ったという説もあります。

 

皆さんはラム酒の語源を存知ですか?すでに述べたサッカルム・オフィキナルム以外にも、カリブ諸島の原住民の言葉で、興奮や騒動を意味する「ランバリオン(rumbullion)」を語源とする説や、マレーシア語で茎を意味する「ブルム(brum)」を語源とする説もあります。

6.航海とラム酒

当時、ラム酒は奴隷に与えることによって、奴隷たちをを使いやすくする道具として用いられていました。もう一つ、ラム酒が壊血病の特効薬として信じられていたため、航海には欠かせないものとなっていました。壊血病の原因はビタミンC欠乏によるものですが、ラム酒を飲みやすくするためにライムジュースと砂糖を加えて飲まれていたので、ライムジュースが壊血病予防なのですがその当時の人たちはラム酒が壊血病に聞くと信じていました。このように船乗りの特効薬として信じられ、また長期の航海では水が腐って飲めなくなるため、航海の際の水分補給のためにもラム酒が支給されました。

トラファルガー

イギリス海軍では乗組員にラム酒を支給していました。イギリス海軍の規則として、1731年から昼食前にハーフパイント(284CC)のラム酒を支給することが義務づけられていました。英国海軍提督のエドワード・ヴァーノンは、ラム酒で酔いすぎて支障を来すことを懸念し、1740年配給していたラム酒を水割りにすることを決定。ヴァーノン提督は、いつも着ていた重くて堅い毛織物のマントから「オールド・グロッグ」と呼ばれていました。それを不満に思った海兵はこの水割りを皮肉を込めて「グロッグ」と呼びました。これが「グロッグ」というカクテルの由来です。この言葉から酩酊状態のことを「グロッキー」と呼ぶようになっています。

7.ラムの生産性向上と熟成ラムの誕生

1785年の蒸気機関の発明により、蒸気を動力とする等の工場の発展によりラム酒の大量生産が可能となりました。これにより18~19世紀にかけてヨーロッパ諸国でもラム酒の消費が増え、ラム酒は世界的な商品になります。

ラム酒の輸出が本格化し、輸送用の容器にはバーボン樽が使われていました。バーボンの熟成には、法律で必ず新樽を使用しなければならないことが決められています。バーボン樽を使う理由は、使用済みの樽を安く購入でき、カリブ海と新大陸は地理的に近く利便性も高かったためです。このラム酒をヨーロッパに運ぶ間にラム酒が熟成し、熟成ラムが誕生しました。

ウイスキー樽

それまでは、ラム酒は砂糖を作る時の副産物でしかありませんでしたが、1806年にナポレオンが大陸封鎖令を発令し、大陸に砂糖が入らなくなりました。その結果として、ヨーロッパで甜菜による砂糖を作る技術が発達しました。その後追い打ちをかけるように、砂糖も様々な地域で作られるようになり、砂糖価格が下落することとなりました。その時期にはラム酒の需要が高まっていたこともあり、砂糖を作るためではなく、ラム酒を作るためにサトウキビを作るようになりました。その結果、砂糖をつくらずにラム酒を作る、アグリコール製法※が確立することとなったのです。

アグリコールラム=砂糖を作らずサトウキビジュース100%を原料とするラム。

参考文献:ラム酒大全

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